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そもそも、ご自身の息子さんの「水頭症」の
病気のことで紆余曲折していくうちに、
高橋義男先生のところにたどり着いたということですが、
お二人の最初の出会いはどのようなものだったのでしょうか |
田中 |
高橋先生に初めてお会いした時のことは、今も鮮明です。診察室のドアを開けた瞬間、光の中に先生がいました。部屋の窓からやわらかい光が差し込んでいて、先生の茶色い髪の毛をふわりと照らしていたんです。「お医者さんらしくないな」っていうのが第一印象でした。横の壁には子どもたちの写真が一面に貼られていて、僕はそれですぐに元気をもらいました。「この人は共に戦ってくれる」。瞬間的にそう感じました。
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高橋 |
あの時、お父さん(田中宏明のこと)は、おそらく内心はパニック状態だったと思うけど、割と落ち着いた態度だったよね。診察室に貼ってある子供たちの写真はね、言葉よりも力がある。なにより自分たちの力になるんです。説明するよりも、見てもらうほうが早いからね。
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田中 |
そのとおりでした。僕は先生に、「息子は死ぬ病気(水頭症)なのか」「息子はどうなるのか」って矢継ぎ早に聞いてしまったんですが、先生は、「とにかくほかのご家族に会っておいで」と言いました。それで病院の中にいた親御さんや子どもたちに会わせてもらって、話をさせてもらいました。
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高橋 |
どこかで見たり聞いたりした情報で、病気を決めつけてしまう人が多いんだよ。はじめにそれを打破しないと駄目。そうしないと何を話しても半信半疑になってしまう。実際に子どもたちを見てもらうと、安心して病気に取り組めるようになるんだよね。
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田中 |
先生にお会いする前、ほかの病院に行って息子の病名(水頭症)を聞いて、話を聞いてもわけがわからなくて、とにかく不安で仕方なかった。でも、高橋先生はぜんぜん違いました。まるで「カゼです」とでも言われているかのように感じました。そのまま水頭症という病気のことを受け入れることができて、覚悟して戦っていくと決めることができたんです。
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子どもが社会に出て、社会で生きていく力をつけてはじめて、私にとっての子どもへの治療は終わるんです──【高橋】
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高橋 |
親は子どものことを、自分のからだの一部と思っているわけだから、良くなってほしいと思う。だから、「良くなるんだ、自分でそうすることができるんだ」という思いが大事なんだよね。何かの情報で駄目だと言われても、その気になるなということ。
子どもたちの親は病院に来た頃は弱い。人にすがろうとする。それを医師が助けて、今度は親が自分自身で立ち向かっていくように、強くなってもらう。それが僕の役割だと思ってます。事実、彼ら(子どもたちの親)はみんな成長していってるよ。 |
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