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エアーダイブ(以後 )
作中では手島ご夫妻と芳弓さんとの出会いから、養子縁組に至るまでの経緯が描かれました。手島さんご夫妻が芳弓さんを迎えたいと強く思っていた一番の理由は、何だったのでしょうか。 |
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紀久子 |
里親制度に登録したそもそものきっかけは、高齢になった時に夫婦2人では寂しいなと思ったからでした。女の子を希望していたら、紹介されたのが芳弓。出会った時は生後9カ月くらいでした。
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義幸 |
第一印象は、どしっとしているなあと。笑顔がかわいくて、度胸のありそうな子だなあと思いましたね。
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紀久子 |
病気が見つかったのは、6カ月の委託期間に入って、5カ月目が過ぎた頃です。つかまり立ちする時に足が震える。周りは「歩き始めは震えるんだ」なんて言ってましたけど、以前より泣くことも増えていて、おかしいと感じました。それで病院に連れていったら病気が発覚したんです。前の晩まで元気にご飯を食べていたのに、腫瘍があるからすぐに手術が必要だって言われてびっくりしました。
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橋 |
芳弓の腫瘍は生命維持に関する機能が集まる延髄にあったから、麻痺や意識障害が進行し、一刻を争う状態だったんだ。病院に来た時にはすでに呼吸も弱まっていた。延髄の腫瘍は手術しても助からなかったり、命が長くないのがほとんどだから、通常は「手術適応外」として手術しない。だけど俺は、芳弓のチャンスに賭けたかった。
それで、いざ手術の許諾を取ろうとした時に、芳弓の複雑な家庭事情がわかった。手術を許諾できるのは芳弓の実の親だから、俺たちはそっちに連絡を取ることになった。手島さん夫妻はあくまでも他人だったから、申し訳ないけど「連れてきてくれてありがとう」で終わるしかなかった。
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義幸 |
委託期間ももうすぐ終わりというところまできていて、私たちにとって芳弓はもう自分たちの子どもだったのに……。委託期間を満了できない以上、法的に親になる資格は失われてしまうから、それ以上踏み込む権利がない。手術の時は何もわからないまま、ただ遠くから見守ることしかできませんでした。
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紀久子 |
手術後はまだ委託期間内でしたから、お見舞いには行きました。手術前に「腫瘍が摘出できても1年くらいは何があるかわからない」とは聞いていて、特にICUにいる間には調子の悪い時の方が多かったので、「今日は元気かな」っていつも心配でね。元気だとほっとして帰ってくるんですけど、帰ってきたらまたすぐ心配になる。「病院から連絡が来るだろうか」と思って、いつも電話を気にしていました。
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義幸 |
連絡なんか、来るはずがないのにね。そもそも、委託期間が終わったら、その後はいつお見舞いを断られてもおかしくなかった。
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橋 |
そうだね。病院としては非常にデリケートな対応が迫られていたんだ。俺も2人の存在を知ってはいたけど、乳児院からは「法的に手島家に芳弓を引き取らせるのは無理」と言われてい |
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たし、病気や障がいを抱えた子を血縁もないのに引き受けるなんて普通はあり得ない。だから、積極的に話しかけたりしなかったんだ。
実の親は芳弓を引き取らないし、当時の俺は、芳弓を受け入れてくれる施設を探すのに必死だった。小さかった頃の芳弓は家庭をすごく欲しがっていたしな。近くを通ったらベッドを指差して、入って添い寝しろって主張するんだよ。おんぶもいっぱいしたもんだ。芳弓、覚えてるか?
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芳弓 |
1回、してもらったかな……(笑)
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橋 |
回数覚えてないくらい、おんぶも添い寝もいっぱいしたんだぞ。看護師も、俺も。
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紀久子 |
たくさんかわいがってもらいましたよね。
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橋 |
うん、かわいがった。でも、一般的な「子どもがかわいい」っていう感情だけで行動していたわけじゃないんだ |
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当時の芳弓は精神的なストレスがかかると、呼吸が不安定になって倒れたり、熱を出してしまったりしていた。そういうことが起きないか心配だったから、芳弓と信頼関係のある人間がおんぶしたり抱っこしたりして、常に交代で見守っていたのさ。
でも、愛情があっても、病院で医療スタッフばかりに囲まれていてはだめ。子どもが大きく発達し、成長していくためには、家庭や社会の中で愛情を受けることが絶対に必要だ。それで芳弓の帰る「巣」を探していたんだけど、この当時、医療的なケアが必要な子はどこの施設も受け入れようとしなかった。そのうちに4年もたってしまい、就学が迫ってくる。焦りを感じていた時に、偶然2人がお見舞いに来たんだ。
俺、だめもとでお父さんに、「芳弓はもう退院できるんです。引き取ることはできますか」って聞いたんだよ。そしたらお父さん、すっごく軽い感じで「いいよ」って言ったんだ。その場で即答だった。
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義幸 |
あんまり覚えてないんだよ(笑)
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橋 |
本当に? 俺、感動して泣いたんだけどな(笑)
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紀久子 |
私たちとしては、一度も引き取りを諦めたことはなかったんですよ。実は、芳弓が入院してすぐ別の子を紹介されたんですが断ったんです。最初は将来を見越して考えた養子だけど、病気になったって私たちの子どもは芳弓だもの。迎えるならこの子しかいなかったんです。
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橋 |
2人はなんでもないことのように話すけど、芳弓は手術したら元通りという類の病気じゃない。手術は一か八かで、手術後の容態も一進一退。退院できる状態にまで何とか回復したけど、ケアは必要。そういう子をためらいなく引き取るというのは並大抵の覚悟じゃできないね。これまでたくさんの家族に出会ってきたけど、血縁があっても病気を機に壊れてしまう家族も少なくなかった。その中で、手島家のケースは「超奇跡」だった。芳弓を引き取ると言った時のお父さんは最高に「クール」で、あの時のかっこよさは今でも忘れられないね。
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